「黒髪の息子ができたようだった」と
ぼくの帰国直前にジーン(ママ)は
そう言ってくれた。

これはぼくが16歳の夏、アメリカ合衆国ミネソタ州で
ひと夏を過ごした時のエピソード。

Boundary Watersという荒野エリアに
キャンプに行った時の話。

どんなところに行くのかも
何が待ち受けているのかもわからないまま
期待と不安の5日間のキャンプの旅は
幕を開けた。

▲アメリカ合衆国ミネソタ州 Boundary Waters
▲1万個以上の湖を持つミネソタ州

【1日目】
Onamiaの家から車で3~4時間。
スペリオル湖が眼下に広がり
「PACIFIC OCEAN!!(太平洋)」と
子ども達がはしゃぐ。

キャンプ入口に車をとめ
食料やテント、カヌーを降ろし
キャンプ地に向け出発。

車をとめてすぐ近くにテントを張る
イメージでいたが…
ん?カヌー?
湖が多いから釣りをする時に使うのかな…

湖をカヌーで渡り
山道はカヌーを担いで歩き
また湖が出てきたらカヌーで渡り
また山道をカヌーを担いで歩く。

そのためのカヌーだったのか。
最初はなるほどと思ったが
しかし、いつまで続くのか…
半日以上、その繰り返し。

おそらく20個以上の湖を渡っただろう。

かなりのハードワーク。
一体いつまで続くのだろう。
ゴールが見えない。

それより、喉が渇いた。
持ってきたペットボトルの中身はすでに空。
だって、こんなになるとは思っていなかったもの。

みんなは空いたペットボトルに
カヌーを漕ぎながら
湖の水をすくって飲んでいた。

しかし、ここは大自然の中。
病院もない。救急車だって来れない。
もしお腹を壊したら?どうしよう…

そんなことを考えてしまい
とても湖の水を飲むことができなかった。

コーラは食糧かばんの中。
気楽に「コーラが飲みたい」なんて言えない。

でも、何か飲みたい。
でも、言い出せない。

弟のクリスはまだ9歳だったが
いつも気にかけてくれて
「何か飲みたい?」と
声をかけてくれていた。

わざわざ荷物をほどいてまで
コーラが飲みたいなんて
9歳の子どもの前で言えるはずない。

アメリカに来て、連日いろんな人と会ったり
地元新聞の取材を受けたりと
少し疲れ気味だった。

ホストファミリーは優しくて親切だったが
ぼくにとっては家族でもなければ
気軽に話せる友人でもない。

インターネットも電話もない。

半日も経たないうちに
すでにどん底の精神状態。

*********

このつらい時間から
早く解放されることを願いながら
ひたすらカヌーを漕ぎ
ひたすら山を歩き
少し休憩。

あぁ、喉が渇いた。
お腹減った。
何よりもわがままを言えないのが辛い。

おやつにりんごをみんなで食べた。

りんごを一口かじる。

えっ、なんということだ?!
からだ中に衝撃が走った。

なんていう水分なんだ。
喉が一気に潤う。

からだ全体に水分がしみわたる。
言うなら砂漠の中のオアシス。

感動なんて一言では
言いあらわせない。

精神的にも肉体的にも
追い込まれていただけあって
あの感動は計り知れないものがあった。

【2日目】
2日目を迎えても
湖の水は飲めないまま。

相変わらずりんごをかじる。
りんごだけがぼくのオアシスだ。

*********

さて、ミネソタの夏は
夜の9時頃が日没だ。
一日がとても長い。

日中は釣りをしたり
湖で泳ぐこと以外は
何もすることがない。

一日が長い…。
まだ2日目だ…。

次第に、また落ち込み始め
みんなと少し距離を取り始めていた。

【3日目】
みんなは釣りに出掛けても
ぼくはテントで留守番だ。

*********

その日の夜は
雷を伴う激しい雨が降った。
テントの中はランプの明かりのみ。

外なら焚火をしたり
辺りを歩いたり
何かしらやることはある。

でもテントの中では
会話くらいしかすることがない。

逃げ道がない。

何か話さないと。
みんなぼくに気を遣ってしまうはずだ…。

だが、話しかけられない。
いや、話したくない。

帰りたい。
一人になりたい。

頭の中が真っ白だ。
言葉を探している。

でも何も浮かばない。
プレッシャーで押し潰されそう。

普段、友人や家族とするたわいない会話って
実はあんなにも意味があったんだ…。
そして、ありがたいことだったんだ…。

もう…限界。

*********

夜も更け、テントの外では
コヨーテの鳴き声が聞こえる。
雨が止んだようだ。

テントの外に出た。

そして、空を見上げた。
そこには見たことないくらい
たくさんの星が空に浮かんでいた。

無数に輝く星の綺麗さに感動したとともに
自分はなんてちっぽけな存在なんだと感じた。

ぼくは常に周りの人に支えられていたんだ。
感謝の気持ちが込み上げてきた。

ぼくはこんなに情けないなんて
いつも支えてくれている友人、家族に
申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「疲れた」って
一言だけ言えたらなんて楽になれるだろう…。

言いたいことを言えるって
すごいことだったんだよな。

聞いてくれる人がいるって
すごいことだったんだよな。

友人、家族の存在のありがたさを知った。

テントに戻り、寝袋の中で
自分の無力さに悔しくて泣いていた。

▲ミネソタの星空

【4日目】
日の出とともに
ぼくは変わろうと決心した。

日頃、ぼくを支えてくれている
大切な人達のためにも
この状況を変えるんだ。

みんなに積極的に話しかけに行った。
絶対に飲めなかった湖の水も飲んだ。

そして釣りにも積極的に行った。
数メートルある崖から湖にダイブもした。

昨日までのぼくだったら
岩に体をぶつけて大けがしたら…
病院まで搬送されるのは1日はかかる…
そんなことを考えていたに違いない。

でもそんなことより
なによりも踏み出すことによって
”違う景色”が見たかったんだ。

【5日目】
長かったキャンプも最終日。

ここで経験したことは
今でも忘れない。

たくさん大切なことに気づかせてくれた。
たくさんのありがたさを知った。

りんごの味も
決して忘れることはない。

またいつかBoundary Watersに戻ってくると
心に誓った。

後日、14歳のマットの
学校の遠足に一緒に行った。

学校からスクールバスに乗る。

映画『フォレストガンプ』で
初登校日、初めてスクールバスに
乗るシーンのようだった。

マットの友人は10人くらいは会ったことあったが
バスも数台で行っていたので
ぼくの乗ったバスは知らないクラスメイトばかり。

ぼくは年齢も2歳上で
しかも日本人。

どう考えてもアウェー過ぎる…。
一人で留守番してたほうが楽だ…。

また消極的になりそうになっていた。

何のためにアメリカに来たんだ?
Boundary Watersで何を学んだんだ?

今、ここでは背中を押してくれる人は
自分だけだぞ?

「楽しい遠足だった」になるのもならないも
自分次第だぞ?

なりふり構わずクラスメイトの女の子に
いっぱい話かけた。

意外にも掴みは取れていたと思う。
(恋話は世界共通だった)

また、違う景色が見られたよ。