大阪(大坂)という名前の割には
坂はほとんどない。
上町台地に登る坂くらいだ。

5,500年前は上町台地以外は海だった。
大阪城や現在の大阪駅は海の中。

やがて海は徐々に後退していったが
広い湿地帯で、ぬかるみや芦原がほとんど。

後に日本一の商都となるこの町は
人が住むには適していないような場所だった。

しかし織田信長は見抜いていた。
「そもそも大坂は日本一の境地なり」

淀川を通じて京都へ
旧大和川では奈良へつながり
西には海外からの船も来る瀬戸内海。

海と川が重要な運輸ルートだった時代
この上ない立地のよさだった。

河川沿いに都市は発展を遂げるが
橋のつく地名が実に多いことに気づく。

江戸時代、大坂には168の橋があった。

このほとんどが、町橋(まちばし)で
市民の寄付で建造し、維持するものだった。

国立の橋、公儀橋(こうぎはし)は
わずか12だった。

このような都市構想の観点からみても
大坂は江戸と違い
「なんでも自分たちの手でやる」
という気風が盛んだったようだ。

橋をかけるのは
みんなが便利に暮らせるように
助け合いの精神からくるものだ。

”義理人情の町”と言われる所以だと
大阪の橋を渡りながら思う。